いつまで経っても自分の音に満足は出来ないものです。
それはいまも変わりはしない。
ペダルや機材は定期的に変わって行く。
ギターも変わって行く。
誠志郎さんのライブツアーが定期的に入る様になって、マネージャーのオクガイチさんが他のライブのギグも誘ってくれる様になった。
東京だけのライブとか。
時々。
少しづつライブが増えてきた。
それでも、ひと月の報酬は家賃と少しくらい。
楠瀬誠志郎さんは当時ソロデビューしたばかりで、積極的にライブ活動していたので、年に2~3回のライブハウスツアーがあった。
一回のツアーで東京、横浜、名古屋、大阪、仙台とか…それくらいだったと思う。
そういうツアーが年に2~3回あったからって、リハーサル入れても、働いてない日の方が多いのは当たり前。
そんな頃、誠志郎さんのバンドで知り合ったキーボードの細井豊さんが鈴木雄大さんのライブサポートに誘ってくれた。
細井さんが所属するバンド「センチメンタルシティロマンス」というバンドでサポートする予定のライブに僕も参加する形で。
何本かライブをやった後に、このバンドでのライブツアーも決まり始めた。
よく覚えてるけど、この頃もほんとに大したプレイが出来てなかった。
なのに先輩方は本当に根気よく僕を使ってくれたなぁって。時代的に僕はラッキーだったんだなと思うのと先輩方への感謝しかない。
どのくらい経ってからかは忘れたけど、鈴木雄大さんも年に2回くらいはライブハウスツアーをやる様になって来た。
失敗も覚えてる。
本番前に楽屋で弦を変えて。
ワイヤレスの送信機をつけ忘れたまま、ストラップ付けた。
そのままギターを担いでステージに上がった。
当然音が出ない。
あっ!楽屋に送信機!?
ドラムのカウントが始まった。
オーマイガー
スタッフ呼んですぐ楽屋まで取りに走ってもらう。雄大さんがステージに出て来る。
スタッフがステージに駆け出して来て、僕のストラップに送信機を取り付けるのでバダバタしてる。オープニングからバタバタ。
一曲目は中盤までギター無しだった。
もう…本当に…古川ったら。
ダサい。
そんなこんなではあったけど
楠瀬誠志郎さんと鈴木雄大さんのライブハウスツアーが交互に入るようになってきた。24才の頃。
つづく
それはいまも変わりはしない。
ペダルや機材は定期的に変わって行く。
ギターも変わって行く。
誠志郎さんのライブツアーが定期的に入る様になって、マネージャーのオクガイチさんが他のライブのギグも誘ってくれる様になった。
東京だけのライブとか。
時々。
少しづつライブが増えてきた。
それでも、ひと月の報酬は家賃と少しくらい。
楠瀬誠志郎さんは当時ソロデビューしたばかりで、積極的にライブ活動していたので、年に2~3回のライブハウスツアーがあった。
一回のツアーで東京、横浜、名古屋、大阪、仙台とか…それくらいだったと思う。
そういうツアーが年に2~3回あったからって、リハーサル入れても、働いてない日の方が多いのは当たり前。
そんな頃、誠志郎さんのバンドで知り合ったキーボードの細井豊さんが鈴木雄大さんのライブサポートに誘ってくれた。
細井さんが所属するバンド「センチメンタルシティロマンス」というバンドでサポートする予定のライブに僕も参加する形で。
何本かライブをやった後に、このバンドでのライブツアーも決まり始めた。
よく覚えてるけど、この頃もほんとに大したプレイが出来てなかった。
なのに先輩方は本当に根気よく僕を使ってくれたなぁって。時代的に僕はラッキーだったんだなと思うのと先輩方への感謝しかない。
どのくらい経ってからかは忘れたけど、鈴木雄大さんも年に2回くらいはライブハウスツアーをやる様になって来た。
失敗も覚えてる。
本番前に楽屋で弦を変えて。
ワイヤレスの送信機をつけ忘れたまま、ストラップ付けた。
そのままギターを担いでステージに上がった。
当然音が出ない。
あっ!楽屋に送信機!?
ドラムのカウントが始まった。
オーマイガー
スタッフ呼んですぐ楽屋まで取りに走ってもらう。雄大さんがステージに出て来る。
スタッフがステージに駆け出して来て、僕のストラップに送信機を取り付けるのでバダバタしてる。オープニングからバタバタ。
一曲目は中盤までギター無しだった。
もう…本当に…古川ったら。
ダサい。
そんなこんなではあったけど
楠瀬誠志郎さんと鈴木雄大さんのライブハウスツアーが交互に入るようになってきた。24才の頃。
つづく